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怒る

贈り主:脳内

「怒るのはダメ!!」とスピリチュアル系の本によく書いてあり、怒りはすべてダメなのかと思ってしまいそうですが、子供、ペット、部下などに対して、怒りが必要な時もあると思っています。

この怒りは、感情的ではなく相手のためを思って怒るというか、怒るフリをするというか、言っても伝わらないと思ったときに使う、必要な怒りだと思っています。

普通、怒るっていうと、心に不快を感じて、心の状態が外に出て怒るってなりますが、この感情的じゃない必要な怒りは、心は平和で、怒る演技をするみたいな、シツケ的な感じです。

見た目は怒っていても、心に怒りは無く、穏かなのです。

なので、心はいつでも平和でキレイでいられるのです。

また、感情的に怒るのは絶対にダメなので、そうなってしまいそうなときは、深呼吸したり、自分に「たいしたことじゃない」みたいなことを言って、一呼吸置いてから対応するのがいいような気がします。
スピリチュアル系の本に書いてある怒りはこっちの感情的な怒りを抑えなさいと言っているような気がします。




(*´ω`*) 同じ怒りでも質が違うのだ

糸につながった凧

贈り主:脳内

「汚い感情を出してしまうのは自分が未熟で自分に原因があり、汚い感情を制御して、心をキレイに保つ」

ということを常に意識していましたが、今はだいぶ善の思考というか、良い自分が意識しなくても保っていられるようになってきた。

なんか全身の濁った血液をキレイな血液に入れ替えたような感じで、もう昔の曇った自分には戻らないような気がしています。

こういうベースが出来上がれば、いちいち考えなくても、イライラしてたら「あっ、今、イライラしてる。イライラの原因はわたし。いかん。いかん。」みたいな感じで、
ちょっと汚い自分が出てきても、すぐに正しい場所に戻ってこれるから、今までの糸の切れた風船みたいに行きっぱなしにはならないので、うれしいです。




(*´ω`*) コントロールを取り戻しつつあるのだ

笑う

贈り主:脳内

辛い時も辛くない時もなるべく笑うことを心掛ける。

不快なことを寄せ付けないためにも笑う。
不快なことが来たとしても笑ってやりすごしちゃう。

自分に起こる出来事で乗り越えられない出来事は起こらないなら、笑えないほど辛いことなんてない。
笑えないのは、自分で被害妄想みたいに深刻に考えすぎてるだけ。

腹から笑いながら嫌なことを考えることなんてできないし、笑うとスッキリするから、もう、積極的に笑っちゃおう。

基本的に笑いは元気が出る起爆剤。

怒ってる人やガマンしている人より、笑ってる人のほうが一緒にいて楽しいよね。




(*´ω`*) 深刻にしないで笑うのだ

負のエネルギーはトイレに流す

贈り主:脳内

自分が嫌だなとか不快だなみたな負のエネルギーを出してしまったときは、頭の中でトイレのウンチを流すようなイメージをして、とりあえず何も考えずに流す。

常にキレイな心を心掛けていても、まだまだ未熟だから、どうしても負のエネルギーが発生してしまい、そのままだと溜まってストレスになってしまうので、トイレでウンチを流すような感じで、とりあえずさっさと流してしまう。

そして、ウンチを流した後ならある程度思考がクリアになってるから、問題点や解決策も見つかりやすいし、怒りにまかせて行動しないから、冷静でいられる。

流してもまだ負のエネルギーが消えてなければ、何回も何回も流すイメージをしてとりあえず体内に溜めないようにする。




(*´ω`*) 身も心も常に清潔にしておくのがいいよね

現在に100%集中する

贈り主:脳内

わざわざ、過去や未来を考えて、後悔や不安や心配などをしなくても、カルマの法則で、過去にしちゃったことは現在の自分に返ってくるし、現在をちゃんとしてれば、これまたカルマの法則で、未来の自分にちゃんと返ってくるから、過去や未来は気にしない。

過去や未来に囚われて現在を疎かにするのが一番ムダ。

現在だけを見て、現在を一生懸命に、キレイに、自己中を無くし、良い種を蒔くことだけに集中すようにする。




(*´ω`*) 現在の大切さがわかってきたのだ

今年からは償い・反省・向上の人生

贈り主:脳内

今年(2011年)からは、このブログを始めて学んだことを実践して、過去の自分を反省し、償い・向上の人生にしたいなと思っています。

<学んだ主なこと>
・自己中でいればいるほど苦痛が増える

・他人は自分の鏡で他人の嫌な部分は自分の弱点である

・幸せは自分の外側ではなく内側で見つかる

・恐怖や不安は幻で、怖いものなんて何もない

・人間は霊で、死後は無になるのではなく、肉体を脱いで何も隠せない裸の心で自分と同じような人達と生きている

・自分の未熟な部分を無くすために生まれてきた

・魂が向上すればするほど他に役立つことができる

・自分に起こる全ての出来事は過去に自分がしたことが返ってくるというカルマの法則である

・負のカルマを増やさないためには良心に従って行動する

・良心に従うには心をキレイにしていないとできない

・心をキレイにするには、自分で心を監視し、悪に振れないようにグッとこらえてコントロールする




(*´ω`*) がんばります

他人は鏡

贈り主:脳内

他人を見て嫌だなって思うことがあると思いますが、それは、自分の中にある嫌な部分を他人を通して見ているからみたいです。

見た目は他人ですが、客観的に自分の卑しい部分を見せられてるので嫌だなって思うみたいです。

だれかが私を不愉快にするのではなくて、自分の汚い部分を再確認させられて不愉快になるみたいです。

だからその嫌な部分は、自分の中に絶対にあるはずなので探して、見つかったらそれを克服するよう努力する。

そして、次にまた同じように「嫌だな」って思う場面になったときに、今度は「嫌だな」じゃなくて、「その気持ちわかるけど、がんばって乗り越えろ」みたいな感情になってたら、きっと自分の中の嫌な部分が克服できたときなのかもしれない。

他人が鏡であるならば、「人間関係に疲れてる」とか「他人が怖い」とか「一人で静かに暮らしたい」とか思っている人は、今まで自己中に生きてきて、自分自身に沢山の汚いものが溜まっていて、そんな汚い自分をうんざりするほど見させられて疲れてしまった人なのかもしれない。




(*´ω`*) 他人はありがたい存在です

人生と自転車

贈り主:脳内

人生は自転車と同じで、ちゃんと乗れるようになるまでは、痛い思いをして覚えるしかない。
だけど、今までは自分が乗れなくて転んだくせに、それを周りのせいにしていました。

よく「地球は1番目か2番目にレベルの低い惑星で、そこに住む人たちの魂は赤子のようだ」と言われてますが、なんとなくわかる気がします。

何で生きてるのか、何で痛い思いをするのか、何で悪い人達、良い人達がいるのか、死んだらどうなるのか、などなど、何も知らずに、ただただ食べるために生きて、周りに振り回され、感情に振り回され、疲れ果て、死ぬときが楽になる時だと信じていましたので、本当に赤子のようだと思います。

でも今は、自転車をちゃんと乗れるようになるために地球に生まれてきて、何度も転んで痛い思いをするのは、自分がちゃんと自転車に乗れてない証拠で、それは全部自分のせいで、周りの人たちは自分がちゃんと自転車に乗るためにいてくれるありがたい人達で、死後もちゃんと乗れてなければまた地球に生まれて訓練するとわかってきたから、少し成長したのかもしれない。

ちゃんと自転車に乗れるようになるのは、まだまだ先になりそうですが、少しずつ成長できればいいかなと思います。




(*´ω`*) 気張らず焦らず怠けず忘れずがんばります

氷の時代

贈り主:脳内

今までは氷のような時代で、自分の地位や財産や権威や権力がどっかにいってしまわないように自分の周りに氷で閉じ込めておいて、他人よりも大きな氷を持っていることが強さの証であり、幸せであり、目指すべきものだったのかな?と思っています。

だけど今は、地球温暖化で北極の氷がどんどん解けているように、自分の意思に関係なく、自分の周りの氷がどんどん溶け出しているような気がします。

今はなんとか氷が溶けないように必死になっている人や、日々小さくなる氷にすがっている人、溶けてなくなっているのにまだ大きな氷をもっているとウソついている人などいますが、きっと最後には、自分の周りの氷がすべて溶けて、自分の体だけになってしまうような気がします。

なので今後は、今まで以上に、その人自身というか人間力みたいなのが何よりも大切で力になるような気がします。




(*´ω`*) ただの妄想ですぅ

最近の自分

贈り主:脳内

最近は、自分の心の状態をだいぶ見れるようになってきたので、「あっ、今、汚い感情出したな」とか「なんか今日は心が少し曇っているかも」とか客観的に見えるようになってきた。

常に心をキレイに保とうと心掛けているけど、まだまだ未熟者だから、やっぱ嫌だなって思うことがあると、心が一瞬暗くなってしまう。
だけど、相手にムカついたり、責めたりするよりも、「過去に自分も同じようなことしたよな」とか「過去にどんな種をまいちゃったんだろうか」とか「これで負のカルマが1つ解消されるのか」とか思えるようになってきて、相手をどうこうするよりも、すぐに「早く汚れた心をキレイにしなきゃ」って思えるようになってきた。

なんかだいぶいい感じです。
そして、こういうことをしてる自分が楽しいです。

あと、自分に降りかかる、良い出来事、悪い出来事、平凡な出来事など、全て偶然は無く、過去の自分がしたことが返ってきてるだけだと思えるし、
TVや周りの人が悪いことをしていたり、ヒドイことをしていたら、反面教師として、「こういうことはしないようにしよう」とか「自分もその立場だったらそうなっちゃうかな」とか思えるし、
良いことを見たり聞いたりしたときは、「まだ自分にはムリだ」とか「早くそうなりたい」とか思えるようになってきたのも嬉しいです。




(*´ω`*) 自己監視と自己改善を趣味にしようかな

毎朝確認してること

贈り主:脳内

<<毎朝の確認項目>>

・身に降りかかる不快な出来事は、全て
 私が過去にしたことが返ってきているだけです。

・恐怖は幻で、怖いものなんて何もありません。

・「謙虚さ」「思いやり」「忍耐」を武器に、
 汚い感情を制御して、心の神殿をキレイに保ちます。




(*´ω`*) とりあえず最低限これかも・・・

心の神殿を汚さない

贈り主:脳内

何か不快なことがあって損した気分になって仕返ししたいとか、ムカムカイライラするよりも、何よりも一番最初にしなければいけないことは、

「心の神殿を汚さないようにキレイにすること」

一番最初にこれをしないといけない。
一瞬でも汚れたら、すぐに掃除する。


そもそも、カルマの法則で受けた不快な出来事は過去に自分が他人にしたことが返ってきただけだから、

「これは過去に私が誰かにしたことが返ってきただけ」

っと思い、その不快な痛みを受け入れ、過去の自分を反省しないといけない。

それに、いつかその人にもそれ相応の不快な思いをするから、わざわざ仕返しする必要はないし、イライラするのも間違っている。

これが分かると不快な出来事は自分の罪を落としてくれるありがたい出来事になる。


だから、楽しい時も、辛い時も、ボーっとしてるときも、不快なときも、常に、いつも、
「心の神殿を汚さないようにキレイにすること」
だけをとりあえず気をつけてればいい。




(*´ω`*) 最初は大変だけど慣れれば大丈夫

恐怖と神殿

贈り主:脳内

「誰かに嫌なことされるんじゃないか」
「誰かに嫌われるんじゃないか」
「誰かにバカにされるんじゃないか」
「お金がなくなったらどうしよう」
「老後はちゃんと生きていけるのか」
「病気になったらどうしよう」
「人生このままどうなるんだろう」

などなど、怒りや不安や心配や焦りや無関心などいろいろあると思いますが、これらの根底には「恐怖」があると思います。
そして「恐怖」が行動の原動力になると自己中な行動になることが多いような気がします。

だけど、「悪いことが起こるのは悪いことをしたからだ」というカルマの法則を理解できると、今感じている「恐怖」はもっと少なく小さくできるような気がします。
完全に無くすことはできないかもしれないけど、今は必要以上に「恐怖」を感じ、「恐怖」に焦点を当てすぎてる気がします。

それよりも、自分の感情の流れを監視し、汚い感情が出ないように制御し、汚い感情が出てしまった場合は原因を追究することに焦点を当て、自分の心の神殿をキレイに保つことが何よりも大切だと思っています。

今までは心とか自分の感情なんて意識したこともないし、そんなに大切だとも思わなかったから、自分の心の神殿は無法地帯で、やりたいほうだい、やられたいほうだいで、
小さい頃はキレイだったと思いますが、世間にもまれ、年を重ねるごとに、だんだん雑草が生え、汚いゴミが溜まり、異臭を放ち、ちょっと前までは、臭いゴミ屋敷のようになっていました。

そんな心の人が起こす考えや行動なんて、良いもののはずが無く、汚物と恐怖しか出てきません。

恐怖を少なくするためにも、より良く快適に過ごすためにも、自分の心の神殿をキレイにすることが大切だと思います。




(*´ω`*) がんばって神殿を掃除します

気の毒で可愛そうな自分

贈り主:脳内


ちょっと前の自分は、良いことをするのが恥ずかしいと思っていたり、良いことをしている人を見るとなんかムズムズして拒否反応が自然に出ていました。

今思うと、きっと、心が曇っていたんだと思います。

そして、そんな曇った心でいるため、現実の生活も曇っていて、不安や不満などの息苦しさが常にうっすらとつきまとっていました。

そして、その息苦しい毎日を少しでも軽くしようとして、他人の不幸で安心したり、他人の失敗で元気になったり、少し悪いことをしたり、自分より弱い者に強く当たったりしていました。

曇った心でできることといえば、これくらいで、ただただみんなやってることだし、これが普通だと思っていました。

それに、こういう考えで今まで普通に生きてこれたということは、自分はこういう人たちに囲まれていたのだと思います。

ストレス発散のつもりが、実はストレスを溜め、類は友を呼ぶで更に不快な人達に囲まれ、もう完全に負のスパイラルです。

本当に、気の毒で可愛そうな自分だと思います。


こんな自分が変わるきっかけになったのは、

「自分がしたことは良い悪い関係なく全て返ってくる」という、「カルマの法則」を知り、納得できたことだと思います。

そうすると、もうこれ以上、不快な思いはしたくないから、汚いものを出さないでキレイな自分でいようと思うし、

何か不快なことをされても、前世も含め過去に自分が他人に味わせたコトが自分に返ってきたんだなって思い、この不快なことをちゃんと対処すれば一つ悪いカルマが無くなるんだと思えるようになりつつあります。

もう本当に、全ての原因は自分にあって、完全自己責任というシンプルなものです。

負のカルマを出して他人に不快な思いをさせた上にそれがそのまま自分にも返ってくるなんて最高に不幸だから、自然に汚いことをするのが苦痛になると思います。

だから、なるべく、自分の汚い感情をグッと制御してキレイでいることが大切だと思っています。




(*´ω`*) まだまだですが良くなりたいのです

汚く働く人、キレイに働く人

贈り主:脳内

ちょっと前までは、お金を稼いで、自分達が良い暮らしが出来れば良いと思ってました。

お金の稼ぎ方も、法に触れなければ、ちょっと騙したり、ズルしたりするのも、自分達が生き残っていくためには必要なことだと思ってました。

でも、こういうお金の稼ぎ方は、悪い人達がいつか自滅するのと同じように、ある時はうまくいっても、いつか破滅したり、常に不安とか恐怖を抱えて生きていくことになると思います。

今は、建設的、生産者として、奪わず、働けば働くほど、みんなが喜んでくれるような仕事をするべきだと思っています。

汚く働いている人もいるし、キレイに働いている人もいます。

汚く稼いだお金とキレイに稼いだお金では、それを受け取るときの見えないダメージが違うし、それは蓄積されていくと思います。

それにお金は、生活できる程度あれば、本当に幸せに生きていけることに気がつきました。

幸せとか満足をお金で買おうとするから、お金が必要になるだけのような気がします。

そして、それは、自分で幸せを見つける能力が衰えてるだけで、しかも、それはニセモノのような気がします。

子供の頃のように、お金の有無にかかわらず、幸せで満ち足りた状態でいることは可能だと思っています。




(*´ω`*) お金呪縛から開放されてきたかも・・・

余裕が無い時でも忘れたくないこと

贈り主:脳内

自分に起こる全ての出来事は、自分の成長のために、
自分で演出しているのだから、どんな環境にいても
「ムカつく」「イライラする」「めんどくさい」とか、
「何かされるんじゃないか」とか、
「嫌な思いしたくないな」とか、
「何でこんなにひどいことされるのだろうか」とか、
「何で私ばっかり大変なんだろうか」などは必要ない。

いつもキレイな心でクリアすればいいだけ。

でも、まだまだ未熟者だから、どうしても、汚物が出たり、出そうになったりしてしまう。

だから、その都度、自分に
「何で汚物が出たのだろう!?」と問いかけ、

「相手より自分を優先してしまったのか」とか
「自分の持ってる嫌な部分を見せられたのか」とか
「思いやりや優しさが足りなかったのか」とか
「昔、自分も同じようなことしたな」とか
「過去の自分のように知らないだけか」とか
「今の自分より暗く辛い立場にいる人なのか」など、
何かしら汚物が出た原因を見つけるようにする。

どうしても原因が分からない時や、収まらない時は、
「前世のカルマが原因だな」って思うようにする。

そうすると、汚物の原因に集中し、反省するので、
相手を恨んだり憎んだりすることもない。

更に、自分の成長のために、わざわざ出演してくれた相手に「私の足りないものを教えてくれてありがとう」と本当は、感謝しないといけないのかもしれない。
まだこれはムリですが・・・(-"-)

こうやって、どんどん自分を磨き、どんどん良くなれば、本人が意識しなくても、さわやかで軽やかな空間が生まれ、本人を含め、それに触れる人や動物や植物などに良い影響を与えることができる。

<<余裕が無い時でも忘れたくないこと>>
・自分に起こる全ての出来事は、自作自演。
・キレイな心だけで生きていける。
・汚物が出るのは、自分が未熟なだけ。
・自分が良くなればなるほど、自分も周りも良くなる。




(*´ω`*) 忘れないようにしますぅ

人生最悪の出来事を経験した人

贈り主:脳内

人それぞれ自分の人生の中で、最悪の出来事(死にたい、絶望、悲しみ、苦しみ、痛み)を経験した後、
はじめて、謙虚になれて上を向いて「良くなりたい」
って思えるような気がする。

「良くなりたい」と素直に思えたとき、はじめて、人生が明るく、上昇気流に乗り、好転するような気がする。

逆に言うと、「良くなりたい」って思えないうちは、
下りの人生がまだまだ続くと思う。

だから、みんな、恥も外聞もなく素直に「良くなりたい」
って思えるまで、要は、人生の最悪の出来事がくるまで、
ガンガン下降すればいいと思う。

それで、そこで、何かに気づき、「良くなりたい」って
心の底から思えたときに、クルッと方向転換して、
上に向かってグイングイン上昇すればいい。

そうすると、頭ではなく体で、痛みを知っているから、
自然に優しくなるし、もう二度と汚れまいと思うから、
自然に汚れたことをするのが苦痛になると思う。




(*´ω`*) 全ての出来事に意味があるんだね

自分最優先を少し控える

贈り主:脳内

日々の生活で自分の心を観察していると、何よりも自分を最優先にしていることが多い。

そして、それが満たされないと、イラッとしたりムカッとしたりして汚物を出す自分がいる。

汚物を出さずにキレイに過ごすために、「自分最優先」を少し控えよう。

最初から、自分が一番じゃなくしちゃえばいい。

自分が一番という快適さより、
一番になりたり自分をグッと抑えて、
汚物を出さない努力をするほうが、
確実に自分のためになり、快適な生活ができる。

不快、苦痛は自己中に比例する気がする。

障害物だらけのドロドロの濁った水ではなく、
抵抗の無いさらさらした清らかな水のように過ごしたい。




(*´ω`*) 日々忘れないようにしたいなぁ

未熟者

贈り主:脳内

いつも、どんなときも、自分のことを中心に考えると、どんどん窮屈に、辛く、無駄なトラブル、嫌な思いをする。

自分の立場が辛いのは自分でそういう環境に導いただけ。
周りが悪いことは絶対にない。

居心地が悪いと思ったら、即、自己反省を必ずしよう。
必ず、自分に非があるから、悪い原因を見つけたら、素直に認め、改めよう。

自分が辛いのは自分のせいでそうなった。
必ず自分に原因がある。
周りは関係ない。

汚いものを出した自分がいけない。
汚いものを出すのを抑えられなかった自分がいけない。

この未熟者め!




(*´ω`*) すいません・・・がんばります

汚物まみれの思考、言葉、態度、行動

贈り主:脳内

とにかく、常に、いつも、どんなときも、自分自身の汚物を出さないようにする。

目には見えないけど、臭くて、気持ち悪くて、ネチョネチョしてて、ドロッとしてるような、

汚物まみれの思考
汚物まみれの言葉
汚物まみれの態度
汚物まみれの行動

は絶対に出さない。

汚いものを出してスッキリするより、グッとこらえて汚いもを出さないほうが、必ず、絶対に、100%自分のためになる。




(*´ω`*) キレイな自分を守るんだ!

ふと思った独り言

贈り主:脳内

今の世の中の親は、なんとなく、
「悪いことはしちゃだめ!!」って子供に言ってるけど、その子供の見えないところで悪いことしているような人が多い気がする。

これが無くなればきっと世の中は良くなる。

多分、自分もこの「贈る言葉」に書いてあるような本を読んでいなければ、自然にこういう裏のある親になっていたと思う。

そして、これが悪いことだとか、病気の原因になりそうなことだとか、自分で幸せを遠ざけてることだとは全く感じてなくて、信号無視ぐらいの、些細なみんなやってる必要悪ぐらいのものだと思っていたと思う。

逆に必要悪だと感じない人のことを、気持ち悪い人だとか、何かに洗脳されている人だとか思っていたと思う。

だけど、これに気がつかないと、生きてる意味や、毎日が、なんとなくボヤッっとした感じで、スキッっとしなく、ただ辛いだけのような気がする。

何のために生きてるのか分からないのって最高に不幸だと思う。

生きてる意味が分からないのに、食べるためだけに、毎日、ストレス溜めて働いて、ストレス解消に悪口言ったり飲んだりして、少し楽になった気がして、、、

だけど、何も解決してないから、常に不満をもってて、嫉妬したり、見栄をはったり、威張ったり、見下したり、ばかにしたり、、、

そして、病気をして、死んだら無になってチャン♪チャン♪って感じだけど、みんな同じような感じだから、こういうもんだと思ってて。。

これって、出口の見えない暗いトンネルにいるみたいで、最高に不幸のような気がする。


今の自分だったら、悪いことや良心が痛むことをしちゃうのは誰かのせいではなく、自分が未熟なだけで、

生きる意味は、この未熟な部分を少しでも無くすようにすることだと思ってて、

未熟な部分が無くなれば無くなるほど、より快適に、より幸せに生きていけると思っている。

そして、未熟部分を無くすためには、苦痛が必須で、そのために自分で自分の不幸やトラブルを選んでるから、絶対に腐ったり、人のせいにしたりしちゃいけないし、

会社とかで人と接すると、より自分の悪いところが分かるから、ただ、食べるためではなく、未熟部分を無くすためにも、働いているんだと思う。

そして、死後も生きていることを確信していれば、
生まれたときよりも死ぬ時に、自分の未熟な部分が1つでも無くなっていれば、地球での修行は成功で、より良い霊界に戻れ、そこで、残りの未熟な部分を無くすために、次はどこで、どんな修行をしたらいいのか考え、また、生まれてくるのだと思う。

これを永遠と繰り返し、未熟な部分をドンドンなくして、ドンドン向上していくものだと思ってる。

この永遠というのは、本当に永遠で、何億光年とかよりも長い期間だから、地球での一生なんて、世界中の砂漠の砂の一粒にもならないような小ささだったり、1日(24時間)の内の1秒よりも一瞬の出来事だと思う。




(*´ω`*) 実践はなかなか難しいですが・・・

「知る」と「できる」

贈り主:脳内

今まで知らなかったことを、少しずつ学んでいるけど、
やはり、知ってるだけでは、使い物にならない。

「知る」のと「できる」のは、全くの別物です。

いざとなったら、知ってることすら忘れてしまう。
いざとならなくても、日々の中に埋もれてしまう。

だから、体に、内臓に、細胞に、心に沁み込ませ、
それが、自然に、反射で動けるぐらいにしないとね。

そうなるには、日々、「実践」と「反省」を
繰り返すしかないのかな。

そうやって、もっと、もっと、今より、快適に過ごせるようになりたいし、気づいたことを人に伝えることができるようになりたいです。




(*´ω`*) コツコツ、確実に、だね

心のメンテナンス

贈り主:脳内

自分の心が悪に振れないようにコントロールしたり、
汚れてないか監視したりすることが、
時には、メンドクサくなったり、バカらしくなったり、
何とも思わなくなったりすることもあると思うけど、

毎日、風呂に入って体をキレイにするように、
毎日、キレイに洗濯した服を着るように、

心も、毎日メンテナンスしないといけない。

心なんて目に見えないから、黙っていれば誰にもバレないと思っていても、見た目と同じように、
心の状態がすぐ、言葉、態度、行動に表れてしまう。


ホコリをかぶって、忘れ去られた、カピカピの乾いた雑巾のような心、

汚れるだけ汚して、もう、すぐにでも捨てたいような心、

にならないように、
がんばって潤いを与え、既に付いている汚れを落とし、新たに汚れたらすぐ洗い流し、出来る限りキレイな状態を保とう。




(*´ω`*) なかなか汚れが落ちないです・・・

贈り主:脳内

宝は、なんとなく、自分の外にあるような気がして、
外へ外へ探し求めるけど、

実は、自分の内にずーと昔からあって、自分に見つけてもらうのを待っているような気がする。

そして、この宝を見つけることができたら、

もう、誰かを傷つけたり恨んだりすることもなく、
環境に流され責められ疲れ自分を見失うこともなく、

幸せ、心の平和、温もり、静寂、新鮮、安らぎ、活力
などなど、
自分が自分でいることに喜びを感じている自分がいる。




(*´ω`*) ような気がしますぅ

心の監視

贈り主:脳内

常に自分の心を監視し、キレイな状態にしよう。

いつどんなときも、汚いこと、悪いこと、ネガティブなことを考えることを絶対に許さない。

いろいろな場面で、ついついマイナスな事を考えている自分がいたら、ただただ自分の未熟さを反省し、少しでも早くそれを取り除こう。

他が自分を救うきっかけを教えてくれても、実際に自分を救うのは自分しかできない。
同じように、他が自分をマイナスな状態にするのではなく、実際に自分がマイナスな状態にしているだけ。

自分の部屋を汚すのは自分しかいない。

常に自分の部屋をキレイな状態に保ち、より快適に過ごせるようにしよう。




(*´ω`*) キレイな心って健全で力強いよね

今までを振り返ってみて

贈り主:脳内

自分で良くなろうと思わないで生きていると、基本的に、周りの環境に流され、知らず知らずに、なんかネガティブな状態にいることが多いと思う。

それで、そんな自分は辛いから、そこから抜け出すために、まず自分が最優先だと思ったり、周りが悪いから自分も悪いのはしょうがないと思ったり、他人より優位にいることで満足したり、自分より辛い人を見て安心したりして、ニセモノの幸せを求めて、みんなで競争している。

そんなネガティブな競争に参加しなくても生きていける。

悪い考え、悪い言葉、悪い行動をしなくても生きていける。

どんなに悪に染まりやすい環境でも、
常に、自分の心が悪に振れていないかチェックし、
常に、良くなりたいと思っていれば、
自然に良い考え、良い言葉、良い行動に結びつき、

嫌な苦痛や、無駄な気苦労が無くなり、
日々の流れがスムーズになる気がする。




(*´ω`*) なんとか昔より楽に生活できてるかも

死後を想像してみる

贈り主:脳内

きっと、死後も確実に自分がいる。

死後、全てが無なら、なぜ生まれてくる意味がある?
無理して楽しいこと見つけるより、生まれてすぐ死んだほうが楽じゃない!?

だから、死後も確実に自分がいる。

そして、この世に生まれた理由は、辛いことを通して自分を鍛え、磨き、自分の悪い部分を無くしていくためなんだと思う。

生まれては死んでを繰り返し、この自分の悪い部分を無くしていくと、より視界が広がり、より快適に過ごすことができる。

今生きてる中だけでも、昔の自分と比べてみると、意味不明な苦労が少なくなっていて、今のほうが確実に快適に過ごせている。

そのうち、いつ心の中を覗かれても、平気でいられる自分がいるはずだ。




(*´ω`*) 悪いところをドンドン無くそう

自分よりも辛く苦しい人

贈り主:脳内

嫌なことをしてくる人や傷つけてくる人は、自分よりも辛く苦しい状況にいる人です。

普通に幸せならそんなことするはずが無い。

だから、そんな人を更に追い込んではいけない。

その辛く苦しくなった原因を考えて、
「早くその心の病気が治り良くなりますように」と思い、できることなら自分が傷つくのを恐れないで、解決策を教えて楽にしてあげる。




(*´ω`*) 助けを求めてるのかもね

昔の自分へ

贈り主:脳内

他人に与えた気持ちは、いつか必ず自分も味わうことになる。
辛いことや苦しいことを耐えたり、乗り越えたりすると人間的に深くなる。

だから、どんなときも、


・自分がされて嫌だと思うことは他人にしない。

・自分がされて嬉しいと思うことを他人にする。

・辛いことや苦しいことから逃げない。

・心の中でしっくりくることを素直に実行する。


これらを守っていると、自分が損をしている気分になることもあるけど、実際は損よりも得をしているから、どんな損をしていると思うのかじっくり考えてほしい。




(*´ω`*) 簡単に理解できることなんだけど・・・

「喜び」と「苦痛」

贈り主:脳内

自分に訪れる「喜び、苦痛」は理由も無く訪れるわけではない。

今までの考え方、行動の結果として訪れただけである。

「喜び」は、今までの考え方、行動が間違っていないことの証明であり、

「苦痛」は、今までの考え方、行動を見直さなければならないことの証明である。

坂道にボールを置けば下に転がるように、包丁で手を切れば血が出て痛いように、

自分に訪れる「喜び、苦痛」も目に見えないだけで、当たり前のことが起きただけなんだと思う。




(*´ω`*) 原因はいつも自分にあるんだね
( `д´) ペッ!
くさった生活の中で、何か忘れているような、自分をダマしているような、何かダマされているような、まだ眠っているような、もう諦めたような、そんな感覚があります

でも、これって何なのか、人に聞いても教えてくれないし、生まれ持った特殊能力も無ければ、天からのお告げが来る気配も全くありません

だから、ちょっと、めんどうで大変だけれど、自分で少しずつ大切なものを見つけていきマス

ちなみに、私は無宗教です。なんとなく昔から、集団や団体の中にいると、ぬるま湯に浸かった感じがして居心地が悪いし、誰かにすがると、弱みを握られ、自由を奪われそうな感じがしちゃうのです

※リンクフリーです(。・_・。)ノ
雨にも負けず(宮澤賢治)
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な身体を持ち
欲は無く 決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず

野原の松の林の蔭の
小さな萱葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず

そういうものに
私はなりたい
自己成長のために
自分をぐんぐん成長させるために、積極的に、嫌なこと、辛いことに立ち向かおう

時には倒れても、時には踏まれても、強い強い雑草のように、必ず立ち上がろう

もっともっと泥まみれになって、どんどん自分を磨いていこう

そして、どんなときも、笑顔を忘れず、前を向いて、キレイな心にしがみついて生きていこう
宮澤賢治じゃないけど
自分の周りが幸せじゃないと、自分の幸せは無いと思う

みんなとは登山で腰に巻いた命綱のようなものでつながっているみたい

だから、だれかが不幸で立ち止まっていると、自分も登れないし、自分だけ幸せになろうとしても、みんなが動かなければ登れない

だから、他人の不幸は自分の不幸だし、他人が幸せになって初めて自分も幸せになれる

つまり、自分が幸せになりたかったら、まず、自分の周りの人を幸せにしないといけない

目に見えないけど、みんなとはいつも一緒みたい
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魂の進化(自己完成への道)
人間はさまざまな形で道を踏み外しては、悪の道を進み、下へ下へと落ちていくのです

この最低の深度にいる間は、自我の中に沈みきっていて、動物と同じく、ただただ自己の快楽と力のみを求めるのです

そして、十分に目覚め、世俗的な心と習慣を捨て、動物的な本能にとらわれなくなると、今まで夢にも思わなかった内的世界に気付くようになるです

ここで遂に、全ての人が兄弟であり、そばの友は自分と同じものを求め、自分と同じ道を辿っているのだと知ります。この理解の目覚めと共に、一切の利己的な野心と願望が後を絶ちます

そして心が遂に変わり、上昇が始まります。光ある方々の群れと一つとなって、前へ前へと波うちます

その魂はもはや、泳いでいる時、他の人々を押して沈めようなどとは思いません。なぜなら、人間として完全な魂の達成という素晴らしい目標に向かって、他の人々も自分自身も、善や悪を経験しながら努力しているだということがわかるからです

自分自身の欠点や弱点を克服し、自分が置かれた境遇や、人間の生活を縛っているさまざまな制限を克服することによって、自己は完成されるのです

人間はこの道を歩むことによってのみ、自己を完成することができるのです

贈り主:コナン・ドイル、ホワイト・イーグル
全てに愛おしさを
例えあなたが嫌なコトをしてきても、私は愛情と優しさでしか返さない

全てが愛おしい

あなたが無知で可愛そうだと思い、何とか助けたいと思う


みたいにできたらいいなぁ
約束
どんなにショックを受けた時も、
どんなに屈辱を味わった時も、
どんなに苦しく辛い時も、
さらに、
100%損だと思った時も、
100%相手が悪いと思った時も、
その他いつどんな時も、

自分がされて嫌だと思うコトは他に絶対にしない!

だって、自分がしたコトは、良い悪いに関係無く、ぜ~んぶ自分に返ってきちゃうみたいだから